と質問すると、
① 再雇用・再任用制度を利用して、65歳までは働きたい(または、多分そうなるのではないか)
と答える方が大半です。
他の答え、たとえば、
② 定年(60歳)前後に転職・再就職して、65歳までは働きたい
③ 定年を区切りに、フルタイムでは働くのはやめたい
などが返ってくることもありますが、それら全部を合わせても、①より少ないと感じています。
私はこの10年弱、50代会社員向けの「年金ライフプランセミナー」「キャリアデザイン研修」の企画・講師を担当しており、また、職業・年齢を問わず個別FP相談をお受けしていることもあり、このテーマには日常的に接しています。
個人事業主や会社経営者など、他人に雇われていない方は、ほぼ全員が、
④ 気力・体力が続く限り働きたい
と答えます。
では次に...
「贅沢しなければ、働かなくても何とかなりそうだ」と思えるくらいの『資産や収入(安定的な不労所得)』を形成・確保できたとしたら、それでもあなたは働きたいですか?
と聞かれたら、どうでしょう?
「65歳まで働きたい」と答える方は激減し、おおむね、次の両極端に分かれます。
- 働かなくても何とかなりそうなら、定年でやめたい(または、すぐにでもやめたい)
会社員や公務員など、他人に雇われている方に多いパターンですね。
隠れ「セミリタイア」「アーリーリタイア」「ファイナンシャル インディペンデンス」指向、とでもいえましょうか。
漢字で表せば、「高等遊民」「晴耕雨読」「悠々自適」指向、ですかね。 - この仕事が好き(生きがい・趣味)なので、収入や年齢に関係なく、働き続けたい
冒頭に触れたとおり、個人事業主や会社経営者など、他人に雇われていない方のパターンですが、会社員や公務員でもときどきいらっしゃいますね。
「生涯現役」または「社会貢献」指向でしょう。
権力者や有名人、宗教家, 著述家, 美術家, 音楽家なども同じではないか、と推察します。
これらのほか、
- 生活のためではなく生きがいでもないが、健康のために働きたい
消極的な「健康」指向?
という方もいます。
ほぼ同じ時間に起床し朝食をとり身だしなみを整えて通勤することは、肉体と精神に一定の負荷を与え、結果として健康維持に役立つ、という考え方です。
少々横道にそれますが...
WHO(世界保健機関)は「健康」を次のように定義しています。
- Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
- 健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。
つまり、働いていれば、自分が何らかの組織・団体に属していることや、自分から商品やサービスを買ってくれる誰かがいること、すなわち社会の一員であることを自覚できますので、自然体で社会的な健康も維持できる、というわけです。
では本題に戻りまして...
「何歳まで働くか」「働くことを いつ やめるか」は、本人(+配偶者)が、周囲に気兼ねせず、自由に決められる社会であって欲しい
と、私は思います。
かつて「磯野波平さん(54歳)」の時代、ほとんどの業種・職種の会社員・公務員は「55歳定年でリタイア」が普通でした。余生(平均余命)も短かったようです。
その後、一般的なライフコースは「60歳定年でリタイア、年金で悠々自適」に移行しました。この時代に定年退職した大企業のOBは、極めて恵まれた企業年金(終身かつ多額)を今でも受け取っています。
さらにその後、厚生年金の受け取り開始年齢が、原則60歳から原則65歳に向けて引き上げられ始めたこともあり、今では「本人が希望すれば、定年後も65歳まで雇ってもらえる」社会になっています。ただし、年収は、定年前に比べて「5割~7割減が当たり前」です。
現在、国は、「被用者(他人に雇われている人)本人が希望すれば70歳まで働けるようにする」方向の法改正を目指し、準備を始めています。
「他人に雇われている人」の定年後の進路の選択肢が増えることは、誰も反対しないでしょう。
しかしながら、次のように感じる人もいるのではないでしょうか(定年まで勤めることをマラソンに例えています)。
- 大学卒業年度ごとにスタートする38kmマラソン。ゴールまでもう少し。成績はともかく、なんとか完走できそうだ。(38kmマラソン = 大卒で60歳定年の場合、勤続年数は38年)
- 聞くところによると、先にスタートした先輩世代は、ゴールで終わりにする人よりも、5km先に追加された2つ目のゴールまで完走する人のほうが多くなったらしい。
- もしかして、さらに5km先に3つ目のゴールが追加され、そこまで走ることを私は観客から期待されてしまうのだろうか。
個人的には、定年で、または定年前に働くことをやめる人(正確には、フルタイムで雇われることをやめる人)が、世間から白い目で見られることがない社会であるよう、願っています。